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正当な続編となる本作は160分を超える作品だ。正直ずっと集中できた訳ではないし、何よりもドゥニ・ヴィルヌーヴ作品なのでこういう文章に起こすのは非常に難しい。映画自体がイメージの洪水として観客を呑みこむ部分があるし、総体としてやんわりと包まれていた方がいいような(心地よいような)作品であるからだ(実のところオリジナルカットだという4時間版でも時間があれば観ていたいような「世界」だ)。
プロダクションとしての本作は続編としても、単体の作品としてもほぼ考え得る要素を入れ込み、更に飛躍させ昇華させた、申し分ない仕上りだと思う。何よりもヴィルヌーヴ自身が言うように「オリジナルへの熱烈なラブレター」になっている点が素晴らしい。それでいて(どこかの怪獣映画のような)ファン・フィクションに陥る事なく、しっかりと客観的な視点も用いられて新たな、現代に則した視点・問題提起を観る者に投げかけるものになっているのは、やはりオリジナル版のライター、ハンプトン・ファンチャーの脚本とリドリー・スコット自身が製作総指揮として参加している事が大きいだろう。リドリー・スコットが用意したキャンバスにヴィルヌーヴとロジャー・ディーキンスが自由に、かつ丁寧に描いた絵画。それがこの「2049」だ。 前作の30年後、2049年後を可視化するに当たってヴィルヌーヴ、ディーキンス、美術のデニス・ガスナーが行った作業が正しかったのは、2019年が舞台だった前作から余計な「今、現代」という引き算をしなかった事だろう。あの2019年にそのまま歴史(おぉ、「記憶」だね)を積み重ねた世界を構築した事で、言ってみれば「世界(観)を見せる」事が目的のひとつだった旧作の精神を継承してみせた。我々の2017年とは時間軸の違う別の「近未来」を照れず媚びずに提出した事で、作品をぶれさせることがなかった。世界はより一層のディストピアになり、レプリカントは従順な「移民」以下の「奴隷」となっている。2019年には見られたアジアのテイストは消え、アフリカンやラテンの人々が多い所にさっと現代性が忍ばせてある(加えて言えばウォレス社のあのちょっと下品なVR広告にアジアのテイストが残っている)。 開巻、前作と同じ様な瞳のアップから映る世界は暗くなくグレーである。密集した家屋はどこかメキシコやブラジル、アフリカの集落を思わせる。ハンガリーのブダペストで多くのシーンの撮影が行われた事で、ロスアンゼルスではあるがどこかヨーロッパ、東欧のイメージがこの町にはある。より寒冷化が進み、木は死に、雪が降る。観る者の心を冷えさせる景色。オリジナルがほぼこの「街」だけで起こる出来事だったものに対して続編はその外周を描く。廃品処理場となったサンディエゴ、核で砂漠化した(いや元から砂漠だけどね)ラスベガス。特に現代彫刻の回廊のようなラスベガスはオリジナルに続いてシド・ミードによるデザインが用いられ、作品の連動性を獲得している。ホログラムのプレスリーが、無人のカジノがもう終わってしまった文明を強烈に印象づける。ガジェット類も中途半端に現代的にせずにブラウン管機器はそのまま、ブラスターも改良はされているが銃は銃のまま(まさか中子真治さんのプロップとはびっくりだが)。それがもう死語になった「レトロ・フューチャー」を文字通りレトロな未来像として見せてくれる事が楽しい。 前作は人間=人とレプリカント(人造人間/アンドロイド)を巡る「命」の問題だった。脚本家のファンチャーは「前作は『命の量』を描き、本作は『命の質』を描いている」という。まさにその通りで、続編では既に生物学的に人であるか、人造人間であるかというものの敷居は曖昧になっている。前作でレプリたちを怯えさせた「寿命」という限界が本作には無い。ネクサス8以降には寿命問題が成立しない。前作でレイチェルとデッカードが逃避行に旅立ったのは、いつ終わるかもしれない「命」ならば賭けてみよう、という理由だった。「愛」を馬力にして、彼らは世界の外に出た。これはこれでとても素敵なおとぎ話だったと俺は思う。ゴーギャンの言葉を元にしてオリジナル版に添えられた「人はどこから来て、どこへ行くのか」というメッセージはロマンチックだった。だが続編で、人との明確な差を失った「スキナー(人もどき)」は人と同じ問題を抱えたステップに進んでいるという事が解る。彼らに足りないのは「記憶(人生)」と「愛」の問題(そして生物学的な「繁殖」の問題)。「愛」という問題については本作では主人公KにJoiという人工知能+ホログラムの恋人を用意している。これは前作のレイチェルとデッカードのリフレインでありながら決定的(物理的)な断絶をもって描かれている。それでもJoiはKを愛するし、KもまたJoiを愛している。まるで「攻殻機動隊」でいう所の「ゴースト」があれば身体など擬体で良いというような作中で言われる「魂(ソウル)」のレベルで二人は結びついている。もう一方でLuvがウォレスに必死にすがるような献身を見せる姿も「愛」である。これは「愛の負の側面」である。捨てられるかもしれない、「解任」されてしまうかもしれないという恐怖を伴うなりふり構わぬ奉仕。極めて「人間的」な行動をLuvはとる。Kの上司であるジョシ(これシャレになってんのか?)も、どこかでKを許し、自分の子供のような、いや年下の男のような「愛」を見せる場面がある。これは人とスキナーの関係を超えた愛の瞬間だろう。デッカードとKの間には「父子」的な感情が芽生えている(比喩的にね)。こうやって書いてきて、実際には「ブレードランナー」という物語はひとつのディテールとして、ガワは関係なく人はどのように人と接する事ができるのか、どうあればよいのかという事を考えてみろ、という定義をしている映画なのだと思える。もう一点「記憶」について。この物語がKに与える記憶とその顛末は極めて残酷なのだが、彼が実際には「そうではなかった」事が、「マトリックス」等多くの「セカイ系」物語の自足感から大きくこの作品を孤立させ、居心地良く閉じていかない「客観」を持ち得ている気がする。自分こそがそうだと念じて信じても、人は人の思う者(もの)にはなれない。そうだったかもしれない可能性はあるが、そうでなない。その「残念な部分」こそが人とレプリとの決定的な「記憶」の違いなのだ。ここで映画は遠く原作であるディックの世界までたち帰る。「模造記憶」/「本当の自分」をテーマにしたディックの人生は決して幸福なものではなかった。そういう冷徹な視線で、本作はKを「傍観者」「主役でない者」として配置している。そこが素晴らしいと思う。極めて現代的だと思う。面白いのは叛乱レプリカント達がデッカードには「死」を求めている事だ。あんなに死を恐怖したもの達が「死こそ人間らしい」と言ってしまう。その逆説にこそ、「人はどこから来て、どこへ行くのか」という極点を見る事ができるかもしれない。 Kにライアン・ゴズリングを、というのはかなり最初からの案だったようで、これは見事だったと思う。役のイメージとしては「ドライブ」のドライバーに近いテイストで演じている。彼の少し甘い感じも漂う部分は仏頂面のハリソン・フォードと対極の現代的感性の「アウトロー」だろう。Luvを演じたシルヴィア・フークス、俺は初めて見たんだが、彼女だけちょっと現代アクション映画チックなキャラで違和を感じないでもなかったが、キレの良いアクションも見せ前作でいうダリル・ハンナのポジションといった所か。ジャレッド・レトが「スーサイド・スクワッド」のジョーカーに続いて大物役をゲットし、面白い捻じれを作っている。ガフ役のエドワード・ジェイムス・オルモスが登場してくれたのは嬉しいサプライズだった。そしてジョシ役のロビン・ライト。今年は「ワンダー・ウーマン」でもヒッポリテの妹役で活躍、今作でも大事なポジションと今がキャリア第二の華の時期ではないだろうか。 プロダクション・デザインのデニス・ガスナーと撮影監督のロジャー・ディーキンスはクレイグ版「007」のチームでもあり、その重厚かつ建築・絵画的なアプローチが本作では十分に生きている。ディーキンスとドゥニ・ヴィルルーヴも既に「ボーダーライン」でそのクオリティは証明されているので、まさにこれを撮るべくして集まったという感じだ。特にヴィルヌーヴは全くたまたま来た雇われ仕事だったというが、堂々と自分の方に引き寄せて作りきった点は素晴らしいと思う。また、色の使い方、照明の複雑な構成、自然光の使い方等、ほんとにロジャー・ディーキンスを愉しむ映画という意味では、ベルトルッチ作品のヴィットリオ・ストラーロ的な味わいがある。グリーンバック云々を言うと最近は「へぇそこが評価基準なのか」って寺脇研に言われちゃうので書きたくないが、やはりきちんとロケをして、作り込んだセット(ミニチュアも含め)にちゃんと画面の、シーンの意味を担わせている所は評価しないといけないと思う。CGIを否定する者ではないが、デジタルになってもやはり「空気は映る」のではないか。高解像度になればなるほど、逆説的に「そこにあること・もの」こそが映画の最大の武器になるのではないかと思うのだ。こんなSF映画だからこそ、よけいに。あと、当初言われていたヨハン・ヨハンソンがメインではなく、ハンス・ジマー先生がスコアを当てたのも印象深い。ちゃんとヴァンゲリスのテイストだもんね。 多くのクラシックが続編やシリーズ化して失敗していく中、この「カルトSF映画」(あえて中子さん風に書いてみました)が見事に、予想を綺麗に超えていく美しさで現れた事、なんとか劇場で目撃する事ができた事は喜ばしい。頼むからここで終われよ。
by Gun0826
| 2017-12-04 14:25
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